村人の手で秘匿された薬師如来坐像は明治政府の廃仏毀釈で破壊寸前だった
従来この地域では、お薬師様への信仰が厚く、廃仏毀釈の折りも本堂は打ち毀されるも、薬師如来は村人の手で秘匿されてきました。数年後、薬師堂建立の声が盛んになり苦肉の策として、神社を建てその中へお薬師様を祀ろうと考え、受持ち神宮苗木村水野忠鼎へ薬師神社建立の申請をするも不許可。明治9年再度嘆願したところ、薬の神を祀る常陸国鹿嶋郡大洗磯前神社の分社としてなら可との沙汰があり、明治11年建立。上野地区氏子の厚い信仰心により崇敬されています。
桧の寄木造で縦横一尺一寸の仏所造。彫刻時期は南北朝時代末~室町時代とされます。木像は上部漆と金箔が重ねられていましたが、腐食がすすみ、近年解体修理された折、台座に北朝年号があったと言われます。詳細は不明。