下組、合郷組、町組の3つの地区から出発する3頭の神馬が、花串と呼ばれる鮮やかな色紙をまとった花馬として、笛や太鼓のお囃子に合わせて坂下のまちを練り歩く。やがて3頭の花馬と囃子方が合流し、100メートル以上の行列となって坂下神社へ奉納。祭りの締めくくりには神社の境内で、我先にと花串を奪りあう。これが岐阜県重要無形民俗文化財に登録されている「花馬祭り」だ。「800年以上の歴史の中で、少しずつ形を変えながら続けています。たとえばお囃子方はこれまで地元中学の男子生徒の役割でしたが、2年ほど前から女子生徒にも参加してもらっています」そう話すのは、坂下花馬保存会会長の吉村俊廣さんだ。
花馬祭りは、住民たちが協力し合ってつくりあげている。たとえば花馬の歩みに合わせて美しく揺れる花串は、すべて手づくりだ。夏になると、男性は山に入り串用の竹を調達し、女性がその串に色紙を取り付ける。子どもたちは夏休みになると先輩たちの指導のもと、お囃子の練習を始める。住民の3割、延べ1500人が祭りに関わっている。そんな中、吉村さんは10年以上、顔役として皆を引っ張ってきた。「準備は約半年かけて行いますが、当日は見どころの花馬行列が始まってから、花奪りが終わるまで、わずか40分ほど。とても儚いものですが、祭りのあとの達成感に満ちた皆の表情をみると、私も苦労が報われたような気持ちになります」
このようにして花馬祭りは、世代を超えて受け継がれてきた。時間とともに祭りが風化しないよう、保存会によって50年ほど前に会則(規約)が作成され、祭りを末永く続けていくための道標が示された。今も地区内全戸が、月に100円ずつ保存会費を出し合って、次の祭りのために協力し合っている。こうした実績が認められ、2018年に花馬祭りは岐阜県芸術文化顕彰を受賞した。最後に吉村さんに花馬祭りの今後について聞くと、笑顔でこう答えてくれた。「親の世代からこの坂下の魂を受け継いできましたが、私を含め役員は高齢になりました。幸い、今の若い人たちもこの伝統を愛し、大切に思ってくれています。あとは彼らにしっかりとバトンをつなぐだけですよ」
吉村 俊廣 さん
坂下地区出身。中津川市の市議会議員在職中の平成22年から、やさか観光協会長および花馬祭り実行委員長に。平成25年からは、坂下花馬保存会長を兼務している。会長となった今は花馬祭りの顔役として坂下の人々のまとめ役を担っている。